2006年12月、佑哉は6年8ヶ月お世話になった「南陽荘」から、とまむ園に転入しました。
とまむ園は陸別町というところにあります。札幌から約300Km、北海道の東、網走に近い十勝のはずれに位置し、日本一寒い町として売り出している人口2600人の町です。なぜ???佑哉がとまむ園に、おいおい別ページで紹介しますがそれなりに深〜い訳があります。
実は、佑哉が生まれ幼少のころ育ててくれた町が「りくべつ」なのです。今はやりのUターンですね。佑哉が生まれたころは4000人弱住んでいた人口も15年あまりで2600人まで減少。国の言う絶滅危惧町に数えられている町です。(まあ北海道全体がレッドデータですが)
とまむ園は、町中心部から10k程度離れた山裾にあり、周りはデントコーン(牛の食べる餌)の畑やビート(砂糖の原料)の畑に囲まれ、窓からは四季の移り変わりが肌で感じるのどかな場所です。
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とまむ園は平成4年に開設され、振り返ると我が家が札幌に居を移した年に出来たのでした。母体となる北勝光生会は昭和48年7月設立、町から相当離れた高台に知的障がい者更生施設「みどりの園陸別更生ホーム」として産声をあげています。
そのほかの施設に授産施設(みどりの園)・特別養護老人ホーム(しらかば苑)・ディサービスセンターなどがあり、30年の歴史をもった法人で、その傘下の「とまむ園」は、入所定員60名の入所更生施設です。
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長年蓄積してきた私の密かな計画の実行が始まった。自分ではまだまだ若いと思っているがいつまでも現役で仕事をしたくても、会社ではそろそろ定年を迎えなければならない時期でもあり、社員仲間の話題にも「あと何年」などと勝手にカウントダウンをしてくる。
このまま今の場所に住んでいてもいいのだろうか?。
札幌でも指折るほどの古いマンションではあるが、冬はロードヒーティングがマンション回りの雪を溶かし、車はマンション1階で雨雪のあたらない駐車場。数年、除雪は出張先以外はしたことがなく、雪に触ることはほとんどなかった。おまけに二階に居住しており、エレベータを使わなくても不自由はなかった。我が家の下(一階)はボイラー室で、年中床暖を入れているような暖かい部屋。
なにも文句の言える環境ではなかった。
《田舎に戻りたい》・《田舎に戻りたい》・《田舎に戻りたい》 その気持ちがだんだん強くなったきて、抑えられなくなったのが行動にでてしまった。
5月連休、久々にばーちゃんの住んでいる陸別に帰省。事前に施設見学の申し込みをしてあったが、佑哉との相性もある。町から10Kmほど離れているが、時間にして10分程度。施設長さんに面会し、職員の方とお話しし、佑哉は落ち着いている。別に嫌がる様子もなく、書庫の物色が始まる。懐かしい陸別の文字を見つけて喜んでいる様子。
待機者が数名いらっしゃるとのことで、空きができたら連絡しますとの返答を得て、父、「数年先に戻ってこれたらいいな」くらいの気持ちで施設を後にする。今の南陽荘の倍の利用者がいるが、高齢者が多い印象を受けて帰ってきた。佑哉のお見合いは成功だったと思う。
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札幌では北海道日本ハムファイターズの優勝で湧き上がったいたころ、とまむ園から電話が入った。「空きができて、待機者が二の足を踏んでいて決まらない。佑哉くんは入所する気持ちはあるか」。即答でお願いします。
ことが動き始めた。さっそく南陽荘の退所申請、とまむ園入所が12月に決まり、あわただしく準備が始まった。またトカチ通いが始まる予感。中札内の時より遠い。でも、将来を見越した決定だけに悲壮感はない。まだ家内だけは、都会志向で佑哉は良いが私たちは...
佑哉くんには、「南陽荘卒業、今度とまむ園」と言い聞かせ、本人もなぜかウキウキ。親があれこれ心配せずとももう大人になっているんだと感心。
引っ越しは以外にもスムーズに行われた。とまむ園に到着し、施設長さんや職員さんと入所の手続きを行っている間もソワソワしている。早く探索に出かけたいのか、手続きも終わりになったころ「よろしくお願いします」佑哉くんの口から教えてもいない言葉がでた。えっ...
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とまむ園での佑哉くんです。小さい頃よりしばらく写真のアップはありませんでしたが、ずいぶんゴツくなってるでしょう。もう姿は大人です。入所したころは、一番若く期待の新星です。
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南陽荘では2週に土日二日の帰省だったが、とまむ園ではそうもいかない。親の懐の都合やら、仕事の都合やら、大人の事情というものがあって佑哉くんには我慢してもらわなければ。とまむ園も帰省の推奨日(お正月・5月連休・お盆)があり、我が家もその通例に合わせることとなる。
でも、そのほかにとまむ園の行事がいろいろ、地区別懇談会(施設職員さんが各地に出向いて要望やら困っていること、利用者の様子などを知らせていただく)や父母会の総会や役員会(みどりの園育成会)、施設で催されるレクレーション行事などがある。
「遠くから入所させているから欠席するのあたりまえ」的な考えは毛頭なく、ほとんどの行事に夫婦で参加させてもらった。燃料代・高速代ウ〜ン。
相変わらず佑哉くんは道中眠りもせず、高速道路のパーキングでのパンフレット収集に興味をもって、近ずくと「タコタコ」と止まるよう合図を送ってくる。
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順応性は極めてよく心配事は全くなかった。職員の方の「自閉症の利用者は少なく経験不足かも」と言われていたが、自傷行為も他傷行為もまったく心配なく、しばらく様子見をお願いしますと言った通りに進んだ。しかし、こだわりにには手を焼いた様子。でも、大量の紙に文字らしきものの殴り書きもボードに書いて消すことでストレスの解消に持って行ってくれた。指導員さんの努力に感謝・感謝です。
相変わらず音楽に耳をふさぐことはやめないが、利用者の行事にも徐々に参加することもできてきているという。自室(一人部屋)には閉じこもらず、廊下の隅っこに自分の基地をつくり、持ち物を手の届く範囲に置き他の利用者の動きを観察(?)している様子だ。
困ったことは他の利用者が自動販売機から飲み物を購入しようとすると、先にボタンを押してしまいトラブルも。そうそう、佑哉くんはおせっかいなところがあります。小さい頃大人の飲み会(自宅や親せきの家)があると、ビールの栓を抜いてお酌することを覚えてしまった。缶ビールはプルトップをすべて開けてしまうとか。帰省の時もいつの間にか冷蔵庫の缶ビールのふたが全部開けてあり、気が抜けて飲めなくなって困っってしまったことも。
とまむ園で育成会の役員会の時も、いずこから嗅ぎ付けみんなのペットボトルのお茶を片っ端から蓋をあけて回る。サービス精神なのか、おせっかいなのか困ったものだ。
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