移住計画
ひょっとして

 念願の移住計画は突然降ってわいたように進み始めた。田舎暮らしを切望し、決してシティボーイ(死語か)ではなかった私は日頃から都会暮らしになじめず、まして退職後の年金生活を考えると北の都会と言われている札幌では経済的にも不安を募らせていた。仕事のことを考えると北海道では、最適な地だとは思うのだが、終の棲家となるとマンション暮らしでは到底考えられなかった。
 移住の希望としては、北海道の東とは決めたいたが、具体的な候補地はまだなかった。仕事で北海道・東北各地をくまなく車で走っていたので、住んで快適な場所を常に念頭に置きながら。しかし、体が覚えている空気感は東を求めていたのかも。
 2012年は変化の年になった。佑哉くんの行事に加え、義母の怪我、娘の結婚。札幌から陸別まで月に3〜4度ほど通わねばならなくなった。ガソリン代・高速代は定年後の契約社員になった立場に重くのしかかり、悲鳴を上げようとしていた。そんな中、陸別のメイン通り(私が思う)に「売家」の小さな看板を見つけた。
 妻はまだ札幌に未練があるようだったが、母親のこと、佑哉くんのこと、生活のことを考えると妥協せざるをえない。少しは前向きに考えるようになった。とても私の手が出る物件とは思わなかったが、ダメ元で問い合わせをしてみた。案の定、先客があり内覧もできないとのこと。決まらなければ後程の連絡になるとの話。
 

それって

 間もなく不動産やさんから電話があった。「都合の良い日に内覧できますよ」日程を決め不動屋さんと待ち合わせ、外観は暗ーいイメージ(見てはいたが)内部は意外とゆったりつくられている。さすが大手工務店の設計だ。しかし、札幌基準としたら札幌もしくはもっと暖かい地方の仕様にがっかりする。「日本一寒い町」を自負する町に適合する仕様ではないことは住んでいた経験がある身としては一目瞭然だ。
 地理・場所も申し分なく、周囲に隣家もなく町役場の隣という地の利で、私も妻も好印象だったが、価格を聞くととても手が出る金額ではなかった。会社とも契約期間が4年もあり、すぐに住めることは思っていなかったので、私のイメージする陸別にあった価格、条件を伝えて4年後まで売れなかったらもう一度お願いすると半分あきらめて別れた。
 

ラッキーかな

 それからしばらく時間経過したあと、不動産やさんからまた連絡が入った。「オーナーさんと相談した結果、私の提示した条件でOKとのこと」よほど売れない期間が長かったのか、不動産屋さんがオーナーさんの説得してくれた様子。再度家を見に行くが、相変わらず家の周りはびっしりの雑草。見た目が悪い。このまま4年も放置するとどうなるか、不安になった。
 これもダメ元で会社に勤務拠点を変更したい旨のお願いをしてみた。北海道全体を仕事の場にしているので、札幌でなくとも良いとの理解ある社長の返答。それから住んでいるマンションの売却に。古ーいマンションだけに売却価格が気になったが、さすが札幌安くともすぐに売れた。
 札幌仕様の大手工務店の建物に、陸別仕様にするため手を加えた。古くから付き合いのある大工さんに無理にお願いして、まず外壁を倍の厚さに、セントラルヒーティングで灯油を燃料にしていたが、壁に穴をあけ煙突を通し、薪ストーブを設置(夢だった)。週末に陸別に行くときに少しずつ薪ストーブを設置するスペースにレンガを積んで味のあるメイン暖房にした。
 何もない家に泊まってみた。しずかだ〜。朝目覚めに外に出てみた。しばらく感じたことの無かった草の香りを感じた。すがすがしさを感じた。理想に近ずいたことを感じた。

 
ありがとうございます

 引っ越しもきまった。会社の許可も、札幌のマンションのことも、すべて期待通りに進んだ。遠距離を通う週末の暮らしとも早くおさらばしたい、その一心で早々の引っ越しとなった。引っ越し荷物をつくっていると20数年前に引っ越ししたときから封を切っていなく使ってもいない荷物もでてきた。なんて物持ちの良いことかあきれてしまう。
 少しずつ前もって運んでいた甲斐もあり、運送屋さんのトラックに難なくおさまった。札幌ともお別れだ。妻も未練はなくなったようだった。

 引っ越してよかったこと:年齢のせいか血圧が若干高め、お医者さんからそろそろ薬とのアドバイスを得ていたが、陸別生活をするとともに、正常血圧まで下がった。ストレスがかからない生活になったのだろうか、病院代・薬代が浮いた。